脇谷のりこ宮崎県議会議員

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2023/09/27 ブログ

宮崎県の鉄道の歴史

今年2023年12月15日は日豊本線開通100年です。
その記念事業として、「宮﨑の鉄道〜鉄道敷設の歴史〜」の展示が宮﨑県立図書館で開催されています。
先日、郷土史研究家の松浦祥雄氏の講座を聞きに行ってきました。演題は、日豊線開通100年〜鉄道ブームに湧いた大正期〜
宮崎県の鉄道はほぼ大正期に敷設されています。
国有鉄道として明治42年に人吉〜吉松間の肥薩線が開業。当時の国の考えは、軍事用物資を運ぶため、線路が破壊されることのないよう人目の付かない山の中を通るルートに決定されたとのこと。
その後、大正2年に吉松〜都城の宮崎線が開通しました。
大正11年には宮﨑〜延岡の日豊南線が、翌年には佐伯〜延岡の日豊北線が開通。
このころになると国は外に目を向け、日豊本線は海岸線に敷設されることになります。物流が盛んになり日豊本線が宮崎県産業の発展に大きく寄与しました。
(県営鉄道は、大正2年に飫肥線、大正3年に妻線、川口線(広島〜瀬頭)が開業。
民営鉄道は、内海線(大淀〜内海)が大正2年に開業しました。)
それまで物流は海路や陸路でしたが、鉄道が開業してからは取扱高も分散されていったようです。

鉄道敷設の目的は宮崎県の農畜水産物、木材を県外に運搬することだったことを考えると、人を輸送することは二次的、付随的なことだったのでしょうか。
改めて鉄道の意義をいろんな点から考えているところです。